By Cafesba , 1 2月, 2026

明治期の頃の喫茶店やレストランはコーヒー豆を、自分の店で焼く今でいう自家焙煎の店が多かったです。今と比較して、コーヒーを飲む習慣がなく、コーヒーを出す店も少なく、コーヒー豆に需要が無かったからです。

しかし、1911年頃から徐々にコーヒーを出す店を増えて来て、コーヒー豆の焙煎を代行する需要も増えてきました。
こうした中カフェ―パウリスタでも働いていたことのある柴田文次は
1920年(大正9年)、横浜市中区福富町でコーヒー商「木村商店」を創業しました。

当初は各国産コーヒー豆の焙煎加工卸や食料品販売を行い、後に「コーヒーシロップ」などの加工品がヒット商品になります。

1923年の関東大震災で店舗を焼失しますが、10日後には横浜市中区吉田町で再起し、焙煎機を整えて事業を再開しました。

1928年、商号を「木村コーヒー店」と改め、横浜市内に工場を設けてコーヒーの製造・販売を開始します。

この時に鍵のマークの「キー」ブランドが採用され、「コーヒーは日本人の新しい食生活と文化を開く鍵だ」という思想がロゴに込められました。

1929年には全面英語表記と鍵のマークが特徴的な「キー缶」が発売され、家庭でも本格的なコーヒーを楽しめるようになったと言われます。

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By Cafesba , 31 1月, 2026

ヨーロッパではベルエポック期だった頃の、日本の黎明期の喫茶店文化を支えたコーヒー豆の焙煎はどのように行われていたでしょうか。

1920年以前、日本には現在のような「コーヒー豆の焙煎を専門とする業者(ロースター)」はほとんど存在しませんでした。

当時は「喫茶店が自分で焙煎する(自家焙煎)」か、「輸入食品店や茶商が店先で焙煎する」のが一般的でした。

放香堂(1878年喫茶開始): 神戸の茶商ですが、インドからコーヒー豆を輸入し、店頭で焙煎して提供していました。当時は電動ミルもなかったため、石臼で挽いていたという記録も残っています。

可否茶館(1888年創業): 東京上野の喫茶店でここでもさまざまな種類の生豆を仕入れ、店内で焙煎・抽出していました。

東京
銀座界隈の1920年以前(主に明治末〜大正初期)では、焙煎は喫茶店自体や輸入・販売を兼ねた商社・店が担っていました。

カフェーパウリスタ(1911年銀座6丁目開業)
ブラジル産コーヒー豆を輸入し、焙煎・販売・喫茶を直営で展開した日本最古級の喫茶店です。ブラジル移民支援とコーヒー普及を目的に設立され、焙煎を自社で担っていました。

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By Cafesba , 25 1月, 2026

日本で人々がコーヒーを飲むようになったのは1800年後半以降です。
それまでは、お茶を飲む習慣はあっても、コーヒーを飲む習慣はありませんでした。

日本の喫茶店文化は、茶道の精神や西洋カフェ文化が混ざり合って、日本独自に発展してきた「お茶・コーヒーを楽しむ生活文化」です。

1888年、東京・上野に「可否茶館」が開業し、日本初の本格喫茶店とされます。

1910年~1920年頃にかけて銀座の「カフェー・プランタン」など、文化人・芸術家が集うサロン的な店が登場し、「カフェー」が都市文化の中心になります。

1920〜30年代、「酒や女性給仕を伴うカフェー」と「飲み物中心の普通喫茶店・純喫茶」に分かれ、後者が現在の喫茶店の源流になります。

第二次世界大戦後、庶民的な喫茶店が増え、待ち合わせ・商談・学生の勉強などに使われるようになります。

喫茶店はこの頃から繁栄し始めた日本のコーヒー文化の礎です。くつろぎの場として「サードプレイス」として機能し、現代のカフェとは異なり、喫煙が許可されていることが多いです。

1960年頃には純喫茶ブームが起こり、ハンドドリップやサイフォンでの一杯だてコーヒー、モーニングサービスやナポリタンなど独自メニューが定着します。

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By Cafesba , 24 1月, 2026

Blue Bottle Coffeeの商品ラインナップは3つの軸があります:定番ドリンク、豆(ブレンド/シングル)、そしてフード、スイーツや季節・コラボ商品です。

定番コーヒードリンク

カフェ店舗では、抽出方法ごとにわかりやすく構成されたメニューがあります。

​エスプレッソ系:エスプレッソ、アメリカーノ、マキアート、ジブラルタル、カプチーノ、ラテなど(店舗によって名称や数は若干変動)。

ハンドドリップ系:ブレンド、シングルオリジン、ディカフェなどを、注文後に豆を挽き一杯ずつ抽出するスタイル。

ミルクコーヒー:ドリップコーヒーをベースにしたカフェ・オ・レ(+料金で変更できる店舗構成)。

NOLA(ニューオーリンズスタイル):ブルーボトルで最も有名なシグネチャードリンク。焙煎したチコリで抽出したコールドブリュー濃縮液に、ミルクとサトウキビ糖を混ぜ合わせています。

リエージュワッフル:生地にパールシュガー(ニバラシュガー)を混ぜ込んだ、イースト風味の濃厚なワッフル。コーヒーフィルターで提供されます。

By Cafesba , 18 1月, 2026

ブルーボトルコーヒー創業者ジェームズ・フリーマンが日本の喫茶店文化に強く興味を持つようになった直接のきっかけは、サンフランシスコのUCCに勤めていた友人に連れられて、2008年に東京の喫茶店をいくつか巡った体験です。
​2008年にサンフランシスコのUCC勤務の友人に案内され、渋谷の「茶亭 羽當」、銀座の「カフェ・ド・ランブル」、表参道の「大坊珈琲店」などの喫茶店を訪れ、日本の喫茶店文化を教えてもらったことが転機になったと語っています。
フリーマンは、日本の喫茶店の「勤勉でエレガントな雰囲気」や、一杯ごとの手淹れ・細かなサービスといった要素からインスピレーションを得て、自分なりに良い部分を抽出してブルーボトルをデザインしたと説明されています。
​そのため日本進出以前から、日本の喫茶店はブルーボトルのアイデンティティの一部とも言える存在になっていたと紹介されています。

 

茶亭 羽當:
茶亭 羽當は、ジェームズ・フリーマンが「日本で最も感銘を受けた」「世界一のカフェ」とまで評した渋谷の喫茶店です。

By Cafesba , 17 1月, 2026

1990年代にサードウェーブムーブメントが盛んになりましたが2000年以降に創業されたブルーボトルコーヒーもまた先行者に並び、生産地の透明性にこだわるサードウェーブのコーヒーショップで、現在は世界的規模になってます。

ブルーボトルコーヒーは、2002年、カリフォルニア州オークランドで、フリーランスのクラリネット奏者、ジェームズ・フリーマンによって設立されました。

フリーマン氏は、186平方フィート(約17平方メートル)の植木小屋で少量ずつ焙煎し、自転車で地元の顧客に豆を配達することで事業を開始しました。

彼の最初の独自のセールスポイントは、最高の鮮度を保つために焙煎後48時間以内にコーヒーを販売するという誓いでした。これは当時としては革新的なコンセプトでした。

業当初は、ファーマーズマーケットや注文を受けて焙煎する宅配サービスを通じて販売していましたが、その後、より伝統的なカフェスタイルへと移行しました。

社名は、中央ヨーロッパで最初のコーヒーハウスの一つ、ウィーンの17世紀後半のオスマン帝国とハプスブルク家によるウィーン戦争後に開業された「ホフ・ツア・ブルーエン・フラッシェ」(「ブルーボトル」)に由来しています。

By Cafesba , 12 1月, 2026

USのポートランドやスタンプタウンやシカゴのインテリジェンシアが創業された頃、ノースカロライナ州のダーラムにもサードウェーブが到来してました。

カウンターカルチャーコーヒーは、その地に拠点を置くスペシャルティコーヒー焙煎会社です。1995年の創業以来、教育と持続可能性に注力していることで知られています。全国にトレーニングセンターのネットワークを持つ卸売専門の焙煎会社として事業を展開し、米国のスペシャルティコーヒー業界における代表的なブランドとなっています。

カウンターカルチャーコーヒーは、1995年にブレット・スミスとフレッド・ハウクによってノースカロライナ州ダーラムで設立されました。

同社は、ローリー、ダーラム、チャペルヒルの「トライアングル」地域の地元レストラン向けにカスタムブレンドを作ることからスタートしました。

現在では、スペシャルティコーヒーを焙煎し、主に米国内で卸売パートナーシップと直販チャネルを通じて販売しています。

同社の中核となるアイデンティティは、コーヒーサプライチェーンにおける持続可能性、品質、透明性です。

創業当初から「トリプルボトムライン」アプローチを採用し、ビジョンとビジネス上の意思決定において、社会的、環境的、そして財政的な持続可能性を重視しています。

By Cafesba , 11 1月, 2026

スタンプタウン・コーヒー・ロースターズ同様、USのコーヒーのサードウェーブムーブメントの先駆者と知られる会社にインテリジェンシア・コーヒーがあります。

インテリジェンシア・コーヒーは1995年にイリノイ州シカゴで設立され、高品質で焙煎したてのスペシャルティコーヒーに特化しています。

インテリジェンシアは、サンフランシスコからシカゴに移住したダグ・ゼルとエミリー・マンジによって設立されました。
創業者たちはサンフランシスコからシカゴに移住し、シカゴで新鮮な焙煎コーヒーが不足していることに不満を抱きました。彼らはレイクビュー地区のブロードウェイに最初のコーヒーバーをオープンし、鮮度を保つためにヴィンテージのプロバット焙煎機で店内で自家焙煎したコーヒー豆を販売しました。

インテリジェンシアは、コーヒーを高級食材のように扱い、産地、品種、テロワールにこだわる「サードウェーブコーヒー」の先駆者としてよく知られています。

同社は、生産国に直接仕入れ先を派遣し、フェアトレード価格をはるかに上回る価格でコーヒーを販売し、農家と緊密に連携して品質と持続可能性の向上に取り組んできました。

輸入業者や商品市場(C市場)価格に基づいてコーヒー豆を購入するのではなく、バイヤーを農園に直接派遣し、品質に基づいて価格交渉を行います。

By Cafesba , 10 1月, 2026

1990年代にスターバックスが「第三の場所」を提供する場所となり、フラペチーノやカプチーノが主役で、エスプレッソやブレンドコーヒーが主役ではなくなり、メニューに使われる材料になりました。

一方で、この頃はコモディディコーヒーに反発したスペシャリティコーヒーの文化がアメリカで普及し始めた頃でした。こだわりのスペシャリティコーヒーを、スターバックスのハワードシュルツが当初イタリアで感銘を受けたコーヒーバーに近い形式で提供するサードウェーブというジャンルが生まれました。

その一つがオレゴン州ポートランドのスタンプタウン・コーヒー・ロースターズです。

スタンプタウン・コーヒー・ロースターズは、ポートランドを拠点とするスペシャルティコーヒー会社です。特に、直接取引による調達と初期のコールドブリューコーヒーの革新において、米国の「サードウェーブ」コーヒームーブメントの先駆者として知られています。

スタンプタウン・コーヒー・ロースターズは、オレゴン州ポートランドで設立され、同地に本社を置くコーヒー焙煎会社兼カフェチェーンです。

同社はスペシャルティコーヒーに特化し、自社カフェ、卸売店、食料品店を通じて、豆、コールドブリュー製品、ドリンクを販売しています。

By Cafesba , 3 1月, 2026

1990年代初頭、カリフォルニアのスターバックス店舗では、特に暑い夏場に、独自の実験を始めました。

バリスタはコーヒー、氷、ミルク、フレーバーシロップをブレンドしました。

その一部は、この地域で人気のブレンドアイスドリンクにヒントを得ていました。

その一つコーヒー・コネクションという会社のフラペチーノでした。

「フラペチーノ」というドリンクのコンセプトと名前は、ボストンに拠点を置くコーヒーチェーン「コーヒー・コネクション」に由来しています。

オーナーのジョージ・ハウエル氏と彼のチームは、1990年代初頭にコーヒー、ミルク、砂糖、氷をブレンドしたドリンクを開発しました。

スターバックスは1994年にコーヒー・コネクション(そしてフラペチーノの名称とレシピ)を約2,300万ドルで買収し、このドリンクの使用とアレンジのための法的およびブランド基盤を獲得しました。

自称コーヒー愛好家のハワード・シュルツ氏は、当初、ブレンドされた甘いコーヒードリンクの発売に反対していました。スターバックスのエスプレッソ中心のアイデンティティが薄れてしまうことを懸念していたからです。