By Cafesba , 26 9月, 2025

1990年代にスペシャリティコーヒーの業者が次々と誕生しましたが、その土台1960年代後半からありました。
当時コモディコーヒーはコンテナ単位で取引されるものですが、その中にはいろいろな生産地から収穫されたコーヒーの麻袋が集められていました。
この麻袋単位で販売することはできないか、
小ロットの麻袋を小規模の焙煎業者に販売することができるのではないかと考えられました。
1960年後半より、アメリカでは小規模の焙煎業者の創業が相次ぎました。
1966年カリフォルニア州バークレイで創業されたPeet‘s Coffeeは、ヨーロッパ式の深煎り・高品質の豆を紹介し、それが地元の学生や知識人に評価されました。
Peett‘s Coffeeの影響を受けてシアトルで1971年に創業されたのがスターバックスコーヒーで、スタバも最初は小規模の焙煎業者でした。
そして、サンフランシスコのコーヒー商社B.C.アイルランドのエルナ クヌッセンはインドネシアのスマトラの生豆などを、小規模焙煎業者にコンテナ単位ではなく麻袋単位で売りました。
このように、1960年代後半アメリカ西海岸で小規模焙煎業者が高品質なコーヒーを提唱し、それらに小ロットの豆を卸すビジネスが展開され始めたのがスペシャリティコーヒーのは走りです。
 

By Cafesba , 26 9月, 2025

1989年のコーヒー危機以降、コモディティコーヒーの価格は金融商品の一種となり、価格は不安定になり、また1986年以降のドイモイ政策によるロブスタ種の新興国ベトナムが国策により供給量を急増させ、コーヒー生産国の盟主のブラジルをも脅かす勢いをつけ、従来の中南米やアフリカの輸出価格が下落しがちになりました。
価格が下がると、コーヒー豆を生産している生産国の農家は価格を下げてもコーヒーが売れなくなり、収入が下がります。
ただベトナムのコーヒーはロブスタ種で、アラビカ種と比較すると低品質とされ、味が落ちるとされます。
その流れで、コーヒー1990年代には味の追求める流れ、つまり価格が高くてもいいから美味しいコーヒーを提供したい、量より質を目指す動きが出て来ました。
アメリカの西海岸で、この動きが活発活発化し、StumptownやIntelligentsia、Conunter Cultureなどの焙煎業者がスペシャリティロースターが1990年に相次いで創業されました。
 

By Cafesba , 23 9月, 2025

コモディティーコーヒーの価格はアラビカ種ならニューヨークの商品取引所、ロブスター種ならロンドンの商品取引所で価格が決まります。
アラビカ種は1ポンド(約453g)あたり何セント、ロブスタ種は1トン(1000kg)あたり何ドルというのが基準になります。
実際には、コーヒーは輸入業者と生産者側の輸出業者の間でたとえば、今後3年間など特定の期間に特定の品質のコーヒーを一定量購入するという契約をすることが多いです。
これを先渡契約といいます。
ただし、コーヒーの収穫量というのは年によって収穫量が増えたり、落ちたりして供給量が変わり、それが需要とのバランスで価格が上がったり下がったりするリスクがあります。
生豆を輸入した後、輸入業者は別の業者に売りますが、その際にコーヒーの価格が、買ったときよりも下落した場合損をします。
単純な例として、コーヒー豆を1年後に100g100円で買い取り、それを焙煎業者や流通業者などに100g120円で売って利益を得ようと計画していたとします。
しかし実際に1年たってみるとコーヒー豆が下落し100g100円で売れず、100g90円でしか売れなくなった場合、10円損失が出ます。
当初は、100g120円で売ろうしていたので、30円計画より利益が減ったことになります。

By Cafesba , 22 9月, 2025

商社の調達によってコ大手コンビニチェーンの巨大なコンビニコーヒー流通網は支えられていますが、これらはいわゆるコモディティーコーヒーが基本です。
コンビニに限らず、スーパーで流通しているレギュラーコーヒー、インスタントコーヒー、缶コーヒー、カフェや喫茶店で提供される多くのコーヒーはコモディティーコーヒーです
コモディティコーヒーは、現在ではニューヨーク商品取引所や一部ロブスタ種がロンドン商品取引所で価格が決定されています。
元々コーヒーは15世紀にエチオピアからイエメンに伝わり、アラブ世界で飲まれるものでした。
17世紀にオランダ人やポルトガル人によって、南米やインドネシアの植民地で栽培されるようになります。
そして18世紀にはこれらの植民地が大規模農園化(プランテーション)され、奴隷労働により大量に輸出がされるようになります。
19世紀後半には鉄道や蒸気船の発達でヨーロッパやアメリカへの大量輸出が可能になり、コーヒーを飲む習慣は一般に広がりました。
やがて、ニューヨーク、ハンブルク、ロンドンにコーヒー取引所が設立されます。
その後、ニューヨークが中心的な役割を果たすようになります。
コーヒーは石油や小麦と並ぶ世界的な商品となり、先物市場で取引されるようになります。

By Cafesba , 21 9月, 2025

大手コンビニエンスストアは店舗数が多く、国内スタバが2千店に対し、セブンイレブンが2万点という店舗数です。
スタバは大手カフェチェーンであり、店舗数も国内最大ですが、コンビニという巨大な流通網は大手カフェチェーンをも大きくしのぎます。
ファミリーマートも1万6千店舗、ローソンも1万4千店舗あり、これらの各店舗にカフェがあれば、最大のカフェということになります。
焙煎業者からこれらの店舗に供給される豆も最大規模になります。
生豆の調達は大手の商社、セブンイレブンの場合は三井物産や丸紅、ファミリーマートの場合は伊藤忠商事系、ローソンの場合は三菱商事系の大手商社ルートから調達しています。
セブンイレブンの場合は、これらの豆を味の素ゼネラルフーズ(AGF)や、UCCが焙煎し、各店舗に供給されます。
商社のコーヒー事業や焙煎業者にとっても、コンビニコーヒーは巨大なビジネスとなります。
コーヒー豆は主にブラジル、コロンビア、エチオピア、グアテマラなどが中心で日本人の好みに合わせて、中深煎り~深煎りが主流になっています。

By Cafesba , 20 9月, 2025

コンビニコーヒーが盛り上がった要因の一つにコーヒーマシンの改良があります。
セブンイレブンのコーヒーマシンは以前は抽出時にサイズを自分で選ぶものでしたがカップを置くとマシンが自動的にサイズを判定し、コーヒーを抽出します。
抽出温度の調整、豆の挽き方の細かい制御、タッチパネルの多言語化などサービスの向上のため改善されてきました。
ファミリーマートは2025年より、業界初のモータードライブを搭載した挽き方調整グラインダを導入し、豆の挽き目を9段階に調整することができるようになりました。
さらに世界No.1バリスタ粕谷哲氏監修のもと、豆から均一にコーヒーを抽出できるようにお湯のかけ方や撹拌方法(抽出時に粉全体が蒸れるようにすること)の改良がありました。
ローソンのマシンはフラットディス式のグラインダーで粉を均一に砕き、抽出のムラや雑味を減らします。
また2018年に抽出速度も2018年にホットコーヒーのSが45秒→25秒に短縮するなどの業界を震撼させる脅威の高速化がなされました。

ローソンの新型「25秒コーヒー」に業界激震 「45秒の壁」が崩壊

By Cafesba , 19 9月, 2025

大手コンビニには、コーヒーマシンがあり、そこで100円から200円くらいで美味しいコーヒーが飲めます。
このコーヒーマシンが、各コンビニの独自商品としてのコーヒーを抽出するように作られてます。
1980年頃からセブンイレブンではセルフサービスのコーヒーの提供を断続的に行ってました。
また2000年代からローソンやミニストップが作り置きのコーヒーを提供するとうサービスを行っていました。
2011年のローソンが街カフェというコンセプトで店員が淹れたてのコーヒーを提供するカフェのような接客重視のサービスをはじめました。
一方でセブンイレブンやファミリーマートが2013年から独自の高性能コーヒーマシンでのセルフサービス式のコーヒーサービスを本格的展開しました。
この時期にコンビニコーヒーという新たなジャンルが確立されました。
各社コーヒー豆の品質へのこだわり、マシンによる抽出も改良され、コーヒーが美味しくなっていったのです。
コンビニコーヒーは、規模が大きいのか特徴で、たとえば店舗数だけで見れば、スタバは現在国内2千軒くらいなのに対してセブンイレブンは2万軒位あるように、ヒットすると影響範囲が広いということがあり、より多くの人に美味しいコーヒーが届きやすくなるということになります。

By Cafesba , 18 9月, 2025

1970年の大阪万博でUCCの缶コーヒーは全国的に有名になり、大ヒットしました。
その時のUCCコーヒーミルク入りは今でも販売され続けられているUCCの象徴のような商品です。
UCCはUCC上島珈琲という社名の通り、上島さんの設立した会社で、1933年に神戸で上島忠雄商店が開業されたのが起源です。
屋号が社長のフルネームというのはこの昭和8年では普通だったようです。
当時はコーヒーではなくて、バターやジャムのよう洋食材を扱っていました。神戸だと貿易港があり、明治時代から、外国人も多く住み、異国情緒がある街だったのでその影響でしょうか。
そこからやがて、コーヒーも扱うようになりました。
この昭和の初期というのは、洋食店や喫茶店も増えて、そこでコーヒーが提供されることも多くなっていた時代で、上島忠雄商店はコーヒー豆を焙煎し、それらの飲食店にコーヒーを卸すようになりました。
その後1941年に太平洋戦争が始まると、コーヒーは「ぜいたく品」、「敵国飲料」とされ1944年に輸入中止になります。
終戦戦の1950年にコーヒー輸入が再開されました。
このとき上島氏は中古の自転車などとの物々交換でコーヒーをかき集めて、それはコーヒー186俵(約11トン)ほどだったそうです。

By Cafesba , 17 9月, 2025

ドリンクの自動販売機では缶コーヒーは定番商品です。
自動販売機によって取り扱うメーカーは異なりますが、大抵どのメーカーにも缶コーヒーはあります。
コーラは無くても缶コーヒーはあるということが多いです。

缶コーヒーの商品化は1950年代からコーヒーメーカー各社で開発が進められました。長期保存ができて、いつでも手軽に飲めるコーヒーへの需要があったのでしょう。
1958年大阪の外山食品がダイアモンドコーヒーという缶コーヒーを出荷予定するという記事はありましたが、実際に出荷された記録はないようです。
また、1959年に明治製菓が関東でコーヒードリンクスという缶コーヒーを試験販売させましたが、当時の製缶技術ではコーヒーが缶を腐食させてしまうという不具合があり販売中止になったようです。
1965年にミラ・コーヒーが特殊加工したスチール缶を用いた缶コーヒーを世界で初めて商品化に成功し、日本橋三越で販売され、各地の百貨店や国鉄(現JR)の売店で販売されました。
そして1969年、日本のウエシマコーヒー(現UCC上島珈琲)がUCCコーヒーミルク入りを発売しました。
1970年の大阪万博で売店の自動販売機で販売れ、大ヒットしました。
缶コーヒーの開発、製品化は高度成長期のシンボルの一つだと思いますね。

By Cafesba , 16 9月, 2025

収穫したコーヒーは精製します。
コーヒーの精製工程では、コーヒーチェリーから豆を取り出すということが行われます。
さくらんぼから種を取り出すようなものです。
コーヒー豆と呼ばれているものは植物の種なのです。
そしてコーヒーチェリーはさくらんぼのように赤や紫色をしています。
まさにコーヒーチェリーです。


この精製方法はナチュラルとウォッシュトがあります。
ナチュラルはコーヒーチェリーを果肉が乾燥するまで乾燥させ、乾燥したら機械で、果肉を取り除き種を出します。
一方でウォッシュドは水を入れて浮いた未熟豆を除去し、果肉除去機で果肉を取り除き、種を取り出します。
種は洗浄後日光や機械で乾燥させます。 

このように最終的には種は乾燥させるものの
ナチュラルは種を取り出す前に乾燥させる、ウォッシュドは種を取り出したあとに乾燥させるもいう違いがあります。


ナチュラルは果実ごと乾燥させるため、豆に果肉の糖分や香りが移ろいやすいです。
対するウォッシュドは果肉を取り除いてから乾燥させるので豆本来の味がクリアにでやすいです。

つまり同じ豆でも精製方法により味が変わります。

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