スペシャリティコーヒー

By Cafesba , 5 10月, 2025

パナマは今日ではゲイシャという最高級のスペシャリティーコーヒーとして知られるコーヒー豆の生産国です。
この国のコーヒー生産もまたアメリカスペシャリティコーヒー協会(SCAA)と深い関わりがありました。
1989年にICOの価格協定が崩壊し、生産国でコーヒーの下落が起こりました。
たとえばパナマででは1ポンド(約450g)1.20米ドルだったのが、価格崩壊後は0.74※ドルまで下落したという話もあります。
また安価なベトナムのロブスタ種の生産量の増大により、パナマのコーヒー豆の価格が回復する見込みはありませんでした。
このような状況でパナマでは、コモディティーコーヒーの価格には左右されないスペシャリティコーヒーの生産に力を入れていこうという動きが出てきました。
1990年初頭にパナマスペシャリティーコーヒー協会(SCAP)が発足しました。
コトワ農園のリカルド・コイナーや、アシエンダ・ラ・エスメラルダ農園のプライス・ピーターソンらが運営に参加しました。
SCAP発足当初からSCAAとは関わっており、生産国と消費国との間の結びつきが強まりました。
 

By Cafesba , 30 9月, 2025

アメリカでのSCAAの設立によって、コーヒーがスペシャリティがどうかを定義する評価基準が作られました。

1.Flagrance(香り) 粉の香りと液体の香り
2.Flavor(風味) 液体を口に含んだ時の評価
3.Aftertaste(後味) 飲み込んだ後の余韻
4.Acidity(酸味) 心地よい明るさやジューシーさ
5.Body(口当たり) 舌触りや重量感
6.Balance(バランス) 各要素が調和してるか
7.Sweetness(甘み) 未発酵豆などの欠点が無く、ポジティブな甘みを感じるか
8.Uniformity(一貫性) 複数カップで同じ品質か
9.Clean Cup(雑味のなさ) 雑味がなく明瞭かどうか
10.Overall(総合評価) 全体の品質

By Cafesba , 28 9月, 2025

スペシャリティーコーヒーを扱う業者が増え、1982年にアメリカスペシャリティコーヒー協会(SCAA)が設立されます。
ニューヨークブルックリンのGillies Coffeeのドナルド・シェーンホルトとカルフォルニア州の焙煎業者Lingle Bros社のテッドリングルが主導し、サンフランシスコのCoffee, Tea and SpiceのバルデンハウファーやRoyal Coffeeのピーター・マクラフリン、コーヒー輸入商ジョン・ランドールらを中心に設立されました。
スペシャリティコーヒーの概念を提唱したエルナ・クヌッセンや当時まだ創業10年目をすぎたばかりのスターバックスの創業者のジェリー・ボールドウィンも参加しています。
スペシャリティコーヒーというは特別な地理条件や微小な地域の気候によって生み出された、ユニーク(個性的、特別)な風味を持つコーヒーで、高品質なコーヒーです。
では、何をもって高品質とみなされるか。
その高品質の共通の基準を、スペシャリティコーヒーという新興のジャンルに関わり始めた業界関係者によって定義しようという動きが生まれました。

By Cafesba , 26 9月, 2025

1990年代にスペシャリティコーヒーの業者が次々と誕生しましたが、その土台1960年代後半からありました。
当時コモディコーヒーはコンテナ単位で取引されるものですが、その中にはいろいろな生産地から収穫されたコーヒーの麻袋が集められていました。
この麻袋単位で販売することはできないか、
小ロットの麻袋を小規模の焙煎業者に販売することができるのではないかと考えられました。
1960年後半より、アメリカでは小規模の焙煎業者の創業が相次ぎました。
1966年カリフォルニア州バークレイで創業されたPeet‘s Coffeeは、ヨーロッパ式の深煎り・高品質の豆を紹介し、それが地元の学生や知識人に評価されました。
Peett‘s Coffeeの影響を受けてシアトルで1971年に創業されたのがスターバックスコーヒーで、スタバも最初は小規模の焙煎業者でした。
そして、サンフランシスコのコーヒー商社B.C.アイルランドのエルナ クヌッセンはインドネシアのスマトラの生豆などを、小規模焙煎業者にコンテナ単位ではなく麻袋単位で売りました。
このように、1960年代後半アメリカ西海岸で小規模焙煎業者が高品質なコーヒーを提唱し、それらに小ロットの豆を卸すビジネスが展開され始めたのがスペシャリティコーヒーのは走りです。
 

By Cafesba , 26 9月, 2025

1989年のコーヒー危機以降、コモディティコーヒーの価格は金融商品の一種となり、価格は不安定になり、また1986年以降のドイモイ政策によるロブスタ種の新興国ベトナムが国策により供給量を急増させ、コーヒー生産国の盟主のブラジルをも脅かす勢いをつけ、従来の中南米やアフリカの輸出価格が下落しがちになりました。
価格が下がると、コーヒー豆を生産している生産国の農家は価格を下げてもコーヒーが売れなくなり、収入が下がります。
ただベトナムのコーヒーはロブスタ種で、アラビカ種と比較すると低品質とされ、味が落ちるとされます。
その流れで、コーヒー1990年代には味の追求める流れ、つまり価格が高くてもいいから美味しいコーヒーを提供したい、量より質を目指す動きが出て来ました。
アメリカの西海岸で、この動きが活発活発化し、StumptownやIntelligentsia、Conunter Cultureなどの焙煎業者がスペシャリティロースターが1990年に相次いで創業されました。