Commodity Coffee

By Cafesba , 1 11月, 2025

ベトナムのドイモイ政策ではベトナム政府はコーヒーを主要な輸出農産品と位置づけました。
栽培計画ではロブスタ種が選ばれました。

アラビカ種とログスタ種
ロブスタ種は病害虫に強く、気候や生育条件に適していたダクラク省の中部高原地帯を中心に栽培されます。
もともとベトナムのコーヒー栽培は19世紀末、フランス植民地時代に始まりこの時はアラビカ種を導入しました。
しかし、当時は生産量が大きく伸びませんでした。
ベトナムの気候や生育条件ではロブスタ種の方があっていたとこうことでしょうか。
ロブスタ種はカフェイン勧誘量が多く苦みや渋み、土っぽさを感じるコーヒーです。
主にインスタントコーヒーやブレンドコーヒーの原料として使われます。
ネスレグループがベトナム最大の購入者で、年間7億米ドルでベトナムのコーヒー生産全体の20~25%を占めています。
最近でも2024年から2025年にかけてNetleは1億7,500万ドルベトナム南部ドンナイ省トリアンにある工場への投資を
行っています。
この工場はネスカフェ、ネスカフェ ドルチェ グスト、ネスプレッソ、ブルーボトル、スターバックスの全ブランドを生産できる唯一の工場です。
 

By Cafesba , 25 10月, 2025

ドイモイ政策がすすめられたベトナムでは1987年に外国投資法が制定されました。
これにより、ベトナム国内で外国企業の設立が認められるようになりました。
これ以降海外企業のベトナムへの投資が活発になります。

外国企業がベトナムに現地法人や会社を設立することをFDI(Foreign Direct Investment)といいますが、
このベトナムにおける1987年以降のFDIの推移を見てみると、1988年から1990年までの3年間は16億350万米ドルでしたが、1991年から1995年まではベトナムのFDIは劇的に増加し、183億7910万米ドルまで増加しました。

By Cafesba , 18 10月, 2025

1980年代からスペシャリティコーヒー産業が発展していく一方、コモディティコーヒー産業ではベトナムコーヒーの大躍進が起こりました。
大躍進のきっかけは1986年12月にベトナム共産党の党大会で採択された政策のスローガン"ドイモイ"でした。
ドイモイとは刷新という意味で、社会主義体制を維持しつつ市場経済を導入するという抜本的な経済改革を目指すものでした。
ベトナム戦争終結後ベトナムではベトナム社会主義共和国となり、中央集権的な計画経済を導入していましたが、これにより効率が大幅に低下し、生産量が減り、経済の低迷を招きました。
その経済の低迷を立て直そうというのがドイモイ政策です。
ベトナム政府はコーヒーを重要な農業セクターへ転換させることを目指し、コーヒーへの投資資源を集中することになりました。
この年軍部や農業省傘下の企業連合による(LH-XN-CPVN)により、第一回人民コーヒー会議が開催されました。
この年は日本企業の日商岩井が、西側諸国で最初の民間企業として、ハノイに駐在所を設立した年でもあります。
1987年にベトナムでは外国投資法が制定され、外国会社の設立が認められました。
これは後に外資系会社の進出の土台となります。
1988年には民営企業の活動を認める政令が発令されました。

By Cafesba , 26 9月, 2025

1989年のコーヒー危機以降、コモディティコーヒーの価格は金融商品の一種となり、価格は不安定になり、また1986年以降のドイモイ政策によるロブスタ種の新興国ベトナムが国策により供給量を急増させ、コーヒー生産国の盟主のブラジルをも脅かす勢いをつけ、従来の中南米やアフリカの輸出価格が下落しがちになりました。
価格が下がると、コーヒー豆を生産している生産国の農家は価格を下げてもコーヒーが売れなくなり、収入が下がります。
ただベトナムのコーヒーはロブスタ種で、アラビカ種と比較すると低品質とされ、味が落ちるとされます。
その流れで、コーヒー1990年代には味の追求める流れ、つまり価格が高くてもいいから美味しいコーヒーを提供したい、量より質を目指す動きが出て来ました。
アメリカの西海岸で、この動きが活発活発化し、StumptownやIntelligentsia、Conunter Cultureなどの焙煎業者がスペシャリティロースターが1990年に相次いで創業されました。
 

By Cafesba , 23 9月, 2025

コモディティーコーヒーの価格はアラビカ種ならニューヨークの商品取引所、ロブスター種ならロンドンの商品取引所で価格が決まります。
アラビカ種は1ポンド(約453g)あたり何セント、ロブスタ種は1トン(1000kg)あたり何ドルというのが基準になります。
実際には、コーヒーは輸入業者と生産者側の輸出業者の間でたとえば、今後3年間など特定の期間に特定の品質のコーヒーを一定量購入するという契約をすることが多いです。
これを先渡契約といいます。
ただし、コーヒーの収穫量というのは年によって収穫量が増えたり、落ちたりして供給量が変わり、それが需要とのバランスで価格が上がったり下がったりするリスクがあります。
生豆を輸入した後、輸入業者は別の業者に売りますが、その際にコーヒーの価格が、買ったときよりも下落した場合損をします。
単純な例として、コーヒー豆を1年後に100g100円で買い取り、それを焙煎業者や流通業者などに100g120円で売って利益を得ようと計画していたとします。
しかし実際に1年たってみるとコーヒー豆が下落し100g100円で売れず、100g90円でしか売れなくなった場合、10円損失が出ます。
当初は、100g120円で売ろうしていたので、30円計画より利益が減ったことになります。

By Cafesba , 22 9月, 2025

商社の調達によってコ大手コンビニチェーンの巨大なコンビニコーヒー流通網は支えられていますが、これらはいわゆるコモディティーコーヒーが基本です。
コンビニに限らず、スーパーで流通しているレギュラーコーヒー、インスタントコーヒー、缶コーヒー、カフェや喫茶店で提供される多くのコーヒーはコモディティーコーヒーです
コモディティコーヒーは、現在ではニューヨーク商品取引所や一部ロブスタ種がロンドン商品取引所で価格が決定されています。
元々コーヒーは15世紀にエチオピアからイエメンに伝わり、アラブ世界で飲まれるものでした。
17世紀にオランダ人やポルトガル人によって、南米やインドネシアの植民地で栽培されるようになります。
そして18世紀にはこれらの植民地が大規模農園化(プランテーション)され、奴隷労働により大量に輸出がされるようになります。
19世紀後半には鉄道や蒸気船の発達でヨーロッパやアメリカへの大量輸出が可能になり、コーヒーを飲む習慣は一般に広がりました。
やがて、ニューヨーク、ハンブルク、ロンドンにコーヒー取引所が設立されます。
その後、ニューヨークが中心的な役割を果たすようになります。
コーヒーは石油や小麦と並ぶ世界的な商品となり、先物市場で取引されるようになります。