中国本土初のコーヒーハウスは、1836年頃、デンマーク人のピーター・オストロフスキーが広州の十三坑(十三工場)貿易地区近くに「北風海」という名のコーヒーハウスを開店したことに始まります。
当時、広州は中国で唯一、西洋との貿易港でした。
1757年、清の皇帝乾隆帝は他の沿岸港の貿易機能を閉鎖し、広東省の岳海関のみを西洋との貿易港として残しました。
つまり、清朝時代に西洋に対して開かれた唯一の正当な貿易拠点は広州でした。
この「一港貿易」体制は、1842年の南京条約まで85年間続きました。
また、黄浦港の長洲島は、主にデンマーク人が居住していたことから「デンマーク島」と呼ばれていました。
ここは広州初の、そして中国初のコーヒーハウスでした。
当時、清朝政府が唯一外国貿易のために開放していた港である広州は、中外貿易の最前線に立っていました。
十三線貿易の初期の貿易相手国には、オランダ、イギリス、デンマーク、スペインといった西ヨーロッパ諸国が含まれていました。
さらに、デンマークは1731年には既に広州に交易拠点(南越古一島)を設けていました。
かつて「デンマークの交易拠点」があった場所は、十三線区の徳興北街の西側に位置していました。