ブルーボトルコーヒー創業者ジェームズ・フリーマンが日本の喫茶店文化に強く興味を持つようになった直接のきっかけは、サンフランシスコのUCCに勤めていた友人に連れられて、2008年に東京の喫茶店をいくつか巡った体験です。
2008年にサンフランシスコのUCC勤務の友人に案内され、渋谷の「茶亭 羽當」、銀座の「カフェ・ド・ランブル」、表参道の「大坊珈琲店」などの喫茶店を訪れ、日本の喫茶店文化を教えてもらったことが転機になったと語っています。
フリーマンは、日本の喫茶店の「勤勉でエレガントな雰囲気」や、一杯ごとの手淹れ・細かなサービスといった要素からインスピレーションを得て、自分なりに良い部分を抽出してブルーボトルをデザインしたと説明されています。
そのため日本進出以前から、日本の喫茶店はブルーボトルのアイデンティティの一部とも言える存在になっていたと紹介されています。
茶亭 羽當:
茶亭 羽當は、ジェームズ・フリーマンが「日本で最も感銘を受けた」「世界一のカフェ」とまで評した渋谷の喫茶店です。
渋谷駅東口から徒歩数分のビル1階にある喫茶店で、「珈琲が好きで1日5〜6杯は飲む」と語る店長寺嶋和弥氏が1989年の開店よりバリスタをしています。
木目調の内装、低めの照明、静かなクラシック音楽など、都会の喧騒から切り離されたような落ち着いた空間が特徴です。
フリーマンはそのホスピタリティとコーヒーへの姿勢を非常に高く評価しています。
特に、一杯ごとに丁寧にハンドドリップする所作、客ごとにカップを選ぶ心配り、静かなサービスのあり方が、自身の店づくりに影響を与えたと紹介されています。
オリジナルの「羽當ブレンド」などを中心に、炭火焙煎豆を使った中煎り〜中深煎りのコーヒーをハンドドリップで提供しており、香ばしさがありつつもクリアで滑らかな味わいと評されています。
ウェッジウッドやマイセンなどのカップが棚一面に並び、バリスタが客の雰囲気や服装を見て最適なカップを選ぶスタイルが「ここならではの体験」として語られています。
カフェ・ド・ランブル:
カフェ・ド・ランブルは、ジェームズ・フリーマンが「とりわけ好きな店」として名前を挙げる銀座の老舗喫茶で、彼の日本喫茶店観を語るうえで欠かせない存在です。
東京・銀座にある「珈琲だけの店」を掲げる専門店で、1948年創業という戦後まもない時期から続く老舗です。
特に、深煎りの豆を使いながらも複雑でおいしいコーヒーを淹いている点に強い興味と敬意を示しており、「深煎りでもこんなにおいしくできるのか」と考えを変えさせられたと語られています。
店を開いたのは2018年に103歳で亡くなった関口一郎さんで、日本中のコーヒー好きが尊敬してやまないコーヒー界のレジェンドです。
大学で音響工学を専攻していた関口さんは、技術者だったことから徴兵を免除され、後楽園にあった兵器修理班に入隊。その生活の中で米軍の供給物資の中にコーヒー豆を見つけ、これを自己流で焙煎して仲間に振る舞ったのがきっかけでした。当時の豆は粗悪なものが多く、どうすれば旨いコーヒーを淹れることができるか、寝るのを惜しんで研究に没頭したといいます。
ブルーボトルコーヒーは「焙煎したてのフレッシュさ(Freshness)」を売りにしていますが、カフェ・ド・ランブルの最大の特徴はその対極にある**「オールドビーンズ(熟成豆)」**です。
生豆の状態で10年、20年、時には40年以上も寝かせた豆を使用します。
適切に管理されたオールドビーンズは、枯れた味わいではなく、まるでヴィンテージワインやコニャックのような芳醇な甘みとまろやかさを持ちます。
フリーマン氏は、自身のスタイル(フレッシュさ)とは真逆のアプローチでありながら、「圧倒的なクオリティ」と「独自の哲学」で成立しているこの店に、深い感銘を受けました。
大坊珈琲店:
大坊珈琲店は1975年創業、2013年にビルの取り壊しに伴って惜しまれつつ閉店した表参道の喫茶店で、深煎り・ネルドリップの自家焙煎店としてコーヒー好きの間で伝説的な存在でした。
店主の大坊勝次氏が一人で焙煎から抽出までを担い、静かな空気の中で一杯ずつ丁寧にコーヒーを淹れるスタイルが特徴でした。
フリーマンは日本進出前に日本の喫茶店を巡る中で大坊珈琲店を訪れ、「一杯ずつハンドドリップするスタイル」に感銘を受け、自身の店づくりに生かしたと紹介されています。
大坊珈琲店では、手回しロースターで深煎りにした豆をネルドリップで抽出し、ややぬるめの湯で一滴ずつ落とすことで、強い苦味を包み込むような甘味とまったりしたコクを引き出す焙煎・抽出を徹底していました。
この「深煎りでも豊かな甘味とバランスを出す技術」は、日本の深煎り文化への理解を深めさせ、深煎りに対するフリーマンの見方にも影響を与えたとされています。
店内はムク材のカウンターや床が煙で燻されたような風合いを持ち、静かなジャズとともに「自分と向き合う場所」として多くの常連に愛されていました。
大坊氏は「よろいを脱いで、その人がその人自身になる“ほっ”とできる空間」を目指していたと語っており、この“静謐な空気”を乱してはいけないと感じたというフリーマンの言葉も紹介されています。
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