North Korea

By Cafesba , 6 9月, 2026

朝鮮戦争がいったん休戦という形で終結し、荒廃した北朝鮮を、ソ連を中心とする共産主義国家連合の協力で短期間に復興しました。

その後、1956年に、それまで共産主義国として協力関係にあったソ連と中国が対立し始めます。

共産主義国家連合が崩れ始め、もともとはソ連の強力ばバックアップで樹立した金日成政権も、この頃から自主、自立、自衛の主体思想(チュチェ思想)による自主路線による増産体制を目指し始めます。

しかし、当時の北朝鮮は朝鮮戦争や韓国への脱出者などにより、当時の北朝鮮は慢性的な労働力不足に悩まされていました。

そのような労働力の補充が必要になったことを背景に在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業が始まります。

当時の北朝鮮では、一部の外国人向けの施設を除いて、コーヒーを飲む習慣はありませんでしたが、日本での喫茶店に行った経験やインスタントコーヒーなどの仕送りで、一部の帰国者はコーヒーを飲んでいたと言われます。

 

ソ連のフルシチョフのスターリン批判による共産主義諸国の変化

1953年ソ連のスターリンが亡くなると、1953年から1958年ごろまで、マレンコフ・ベリヤ・モロトフ・フルシチョフらの権力闘争が起こりました。

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By Cafesba , 23 8月, 2026

朝鮮戦争の休戦後、荒廃した国を再建するため、北朝鮮はソ連、中国、東欧諸国から技術者を受け入れました。

特に一部の東欧諸国にはコーヒーを飲む文化があり、そうした国々の人々は北朝鮮でもコーヒーを飲んでいました。

 

朝鮮戦争後の荒廃からの復興

被害はほぼ壊滅的でした。

1951年以降、実質的に迎撃されることのなかった米軍の爆撃作戦によって、国内の都市構造の大部分が破壊されました。

平壌はほぼ瓦礫と化し、主要な町の大部分はその建物の大半を失っていました。

朝鮮戦争後の北朝鮮の復興は驚異的な速さで行われました。

1953年頃から1960年代初頭にかけて、同国は戦時の広範囲にわたる破壊から、新しいアパート地区、工場、病院、鉄道、電力施設を備えた再建された工業経済へと移行しました。

しかし、これは単なる北朝鮮の「自力更生」のサクセスストーリーではありませんでした。ソ連、中国、東ドイツ、チェコスロバキア、ポーランド、ハンガリー、ルーマニアなどの社会主義諸国からの莫大な支援が極めて重要だったのです。

1953年7月27日に休戦協定が署名されたとき、北朝鮮は並外れた復興の課題に直面していました。

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By Cafesba , 15 8月, 2026

第二次世界大戦以前の日本統治時代、現在の北朝鮮・平壌には喫茶店が存在し、コーヒーも飲まれていました。

しかし、太平洋戦争が始まると、日本はコーヒーの輸入を禁止しました。その後のソ連占領期には、一部のソ連占領軍関連施設でコーヒーが飲まれていた可能性はありますが、主な飲み物はお茶でした。

そして、朝鮮戦争が始まります。

北朝鮮戦線に展開したアメリカ兵は、日常的にコーヒーを飲んでいました。

 

朝鮮戦争の勃発

金日成が1950年6月25日に朝鮮人民軍を38度線の南へ進軍させたのは、李承晩政権を打倒し、共産主義体制のもとで朝鮮半島を統一するための、またとない機会だと考えたからです。

これは、単にスターリンから命令されて行ったものではありません。公文書などの史料からは、むしろ金日成自身が繰り返しモスクワに対して南進の許可を求めていたことが分かっています。実際、スターリンは1949年の段階では、金日成の要求を何度も拒否していました。

38度線はもともと、1945年の日本の降伏後、ソ連軍とアメリカ軍の占領地域を分ける境界線として設定されたものでした。

しかし1948年までには、朝鮮半島には互いに対立する二つの政府が成立していました。

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By Cafesba , 9 8月, 2026

これから北朝鮮のコーヒーの物語について書いていきます。

以前は、朝鮮(韓国)のコーヒー史のシリーズについて書いてきました。

韓国


しかし第二次世界大戦後の部分については、それは韓国(大韓民国)だけの話でした。

実際には、朝鮮半島にはもう一つの国家が存在します。朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)です。

朝鮮は1910年以来、日本の植民地でした。

1945年に日本が降伏すると、米国とソ連は降伏を受理するために、急ごしらえで北緯38度線において半島を分割することに合意しました。数時間のうちに引かれ、あくまで暫定的なものとされた線です。

この時期、北朝鮮ではコーヒー文化はほぼ消滅していました。ソ連占領軍の一部の施設内など、ごく限られた範囲でしか存在しなかったのです。


朝鮮 金日成、北朝鮮の初代指導者

1945年8月に日本が降伏した後、ソ連軍は38度線以北の朝鮮を占領しました。

ソ連は、友好的な政府を樹立でき、なおかつソ連の指示に従順な朝鮮人の要人を必要としていました。

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