1900前後に日本で喫茶店が黎明期を迎えていた時代、1902年頃の韓国ではソウルの貞洞で、フランス系ドイツ人、アントワネット・ソンタクが朝鮮半島で最初の西洋式ホテル「ソンタクホテル」を開業しました。
彼女は1885年、初代駐韓ロシア公使カール・イワノヴィチ・ベーベル(Veber)一行に同行してソウルに入国しました。
ベーベルの義理の姉(または義理の妹)とされ、ロシア公使館と宮中をつなぐ連絡役のような立場を担いました。
彼女はドイツ語・フランス語・英語・韓国語を話せるマルチリンガルで、通訳や仲介役として朝鮮王室と西欧勢力の間を取り持ったと伝えられています。
ソンタクは、ロシア公使館と宮中の連絡役として、朝鮮をロシア寄りに導き、清国から距離を置かせるよう働きかけた人物とされています。
高宗の信任を得て、宮中で西洋料理や室内装飾などを担当し、王室の生活に西洋式文化を導入する役を担いました。
1895年、高宗は彼女の功績を認め、現在のソウル市中区貞洞一帯にあたる土地と家屋(後のイギョン・梨花女子高校敷地)を下賜しました。
この建物をソンタクは賓客を迎えるための西洋風応接・宿泊施設に改装し、これが「ソンタク賓館」の始まりとされています。
当時の貞洞エリアには各国公使館が集まっており、ソンタクホテルは西洋の外交官や宣教師、朝鮮の開化派官僚たちが集まる社交場となりました。ここでコーヒーを飲みながら、国際情勢や政治の話が交わされました。 (ウィンストン・チャーチルや伊藤博文も宿泊した記録があります。)
1896年の「ア館播遷(アガンパチョン、アガンパクチョン)」、すなわち高宗・純宗父子が日本勢力を避けてロシア公使館に一時避難した事件(露館播遷)は、ソンタクのこうした後ろ盾や助言も一因だったと記述されることがあります。
1902年、大韓帝国政府は王の私財(内帑金)を用いて、既存の小規模な洋館(客室5室)を取り壊し、2階建ての近代的な西洋式建物を新築しました。
新築された建物の経営をソンタクに委ね、ここが「ソンタクホテル(손탁호텔、ソンタク賓館)」と呼ばれるようになります。
形式としては、巨額の内帑金で建てられた「事実上の政府直営ホテル」であり、
2階:国賓や高官を迎えるための客室
1階:一般外国人向け客室、厨房、食堂、コーヒーショップ
という構成でした。
日露戦争とその後の国際情勢の変化により、ロシア勢力が後退し、1905年の乙巳条約(第二次日韓協約)締結以降、朝鮮の局面は急激に日本優位へと傾きました。
この政治環境の変化の中で、ソンタクはホテルの経営権をフランス人に譲渡し、韓国を離れたとされます
ソンタクホテルは、韓国における西洋式ホテル営業と西洋料理レストラン、ホテル内コーヒーショップの先駆けと評価されています。
韓国のコーヒー文化を語る上で、このホテルは欠かせない存在です。 ソンタクは高宗にコーヒーの味を教えた人物とも言われており、ソンタクホテル内のレストランや喫茶室(ダバン)は、西洋式のコーヒーを楽しめる象徴的な場所でした。
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