欧州ではベルエポック期だった頃の日本の焙煎業業界

By Cafesba , 31 1月, 2026
カフェパウリスタ

ヨーロッパではベルエポック期だった頃の、日本の黎明期の喫茶店文化を支えたコーヒー豆の焙煎はどのように行われていたでしょうか。

1920年以前、日本には現在のような「コーヒー豆の焙煎を専門とする業者(ロースター)」はほとんど存在しませんでした。

当時は「喫茶店が自分で焙煎する(自家焙煎)」か、「輸入食品店や茶商が店先で焙煎する」のが一般的でした。

放香堂(1878年喫茶開始): 神戸の茶商ですが、インドからコーヒー豆を輸入し、店頭で焙煎して提供していました。当時は電動ミルもなかったため、石臼で挽いていたという記録も残っています。

可否茶館(1888年創業): 東京上野の喫茶店でここでもさまざまな種類の生豆を仕入れ、店内で焙煎・抽出していました。

東京
銀座界隈の1920年以前(主に明治末〜大正初期)では、焙煎は喫茶店自体や輸入・販売を兼ねた商社・店が担っていました。

カフェーパウリスタ(1911年銀座6丁目開業)
ブラジル産コーヒー豆を輸入し、焙煎・販売・喫茶を直営で展開した日本最古級の喫茶店です。ブラジル移民支援とコーヒー普及を目的に設立され、焙煎を自社で担っていました。

木村商店(キーコーヒー前身)
柴田文次が創業した横浜本店ですが、銀座界隈の喫茶店(例:後の銀座トリコロール関連)へ豆供給の影響を与え、焙煎技術を共有・供給していました。

その他の輸入商・雑貨店
銀座の初期カフェ(カフェー・プランタン、カフェー・ライオンなど)は、近隣の洋食器店や舶来品商から生豆を仕入れ、店内で自家焙煎するのが一般的でした。

当時の銀座は「文化人の集まるカフェ街」として急成長し、焙煎は「輸入+自家/小規模卸」が主流で、全国一括供給のような大規模業者はまだ存在しませんでした。

カフェーパウリスタはブラジル政府の無償供与豆を活用し、焙煎卸の基盤を築き、1923年の関東大震災後に焙煎業へ本格シフト(後の日東珈琲)しました。

全体として、専門焙煎業者の台頭は大正末以降で、銀座は「焙煎と喫茶が一体化した」実験場のような場所でした。

大阪
​一方大阪本町界隈(瓦町・本町エリア含む)の1920年以前では、焙煎は主に喫茶店開業直前・直後の自家焙煎や小規模専門店が担っていました。大正初期が中心で、明治期はまだコーヒー文化が薄く、輸入商中心でした。

丸福珈琲(1919年大正8年創業、谷町9丁目)
本町に近いオフィス街で、初代福蔵氏がコーヒー豆焙煎専門店としてスタート。大正時代からの焙煎方法を今も守り、御堂筋の大丸西側で喫茶店や個人に豆を供給していました。

平岡珈琲店(1921年大正10年創業、北船場→瓦町3丁目)
創業者の小川忠次郎は、もともと千葉の醤油醸造元の出身でした。「これからはコーヒーの時代だ」と予見し、銀座の「カフェーパウリスタ」でノウハウを学び、ドーナツの製法とコーヒーを持ち帰って大阪で開業しました。

焙煎の特徴(ボイリング法): 創業当初から店内で焙煎を行っていました。特に有名なのが、焙煎した豆を鍋で煮出して布で濾す「ボイリング法」という抽出スタイルです。これは当時の一般的な手法でしたが、現在までこのスタイルを守り続けているのは日本でもここくらいと言われています。本町駅近くで深煎り豆を扱い、北船場界隈のビジネスマンに人気でした。

その他の輸入商・喫茶店
本町の洋菓子店「ゼー六」(大正2年創業、本町1丁目)などでは、コーヒー関連で焙煎を兼業。周辺喫茶店は生豆を輸入商から仕入れ、店内で焙煎するのが一般的でした。

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