北朝鮮では金正恩政権発足後、平壌の都市再開発を積極的に進めました。
この再開発を背景に平壌では、富裕層の若者に人気のお洒落なカフェ金陵コーヒーショップも開業しました。
また韓流文化も、若者の間に広がりましたが、2020年のパンデミック後、北朝鮮当局は韓国文化が若者の忠誠心を損なっているのではないかという金正恩政権の不安から規制を強めます。
このため、お洒落なコーヒーショップがその後も営業を続けることができたかは不透明です。
しかし、コーヒーを飲むこと自体は、平壌だけでなく、地方の幹部にも広まっていました。
金正恩の再開発事業
金正恩は2012年の政権発足直後から平壌の都市再開発を積極的に進め、2013年にはスポーツ・娯楽施設の建設を大幅に拡大しました。
金正日末期からの進められていた平壌中心部昌田通り(チャンジョン通り)の再開発を継承し、高層マンション群を整備しました。
2013年には紋繍遊泳場(ムンスゆうえいじょう)が建設されました。
2012年3月24日に金正恩が平壌の紋繍地区に近代的なウォーターパークを建設するよう指示し、それで建設されたのが紋繍遊泳場です。
建設には朝鮮人民軍の建設部隊も動員されました。
2013年10月には平壌郊外に大規模な乗馬・馬術施設美林乗馬クラブ(ミリム乗馬クラブ)
が完成しました。
もともとは朝鮮人民軍の騎兵訓練場でしたが、金正恩の指示によって一般市民も利用できる乗馬施設に改修されました。
2015年11月には未来科学者通り、近代的な高層住宅街です。
金陵レジャーセンター
そのような金ジョン政権の建設ラッシュの中、平壌に2013年11月10日に開業したのが金陵レジャーセンター(Kumrung Leisure Centre)です。
スポーツ・健康・娯楽を楽しめる複合施設です。
「金陵健康センター」とも呼ばれ、2013年に開業しました。周辺にある同種の施設の中では最も小規模です。 大同江の東岸、玉流橋を渡った先の柳京健康センターの向かい側にあり、柳京館レストランとゴールデンレーン・ボウリング場の間の建物です。
古くからあるボウリング場に加え、柳京健康センターや柳京館(館内にサウナとプールがある)、そしてこの金陵レジャーセンターが新しく整備されたことで、一帯は以前より見どころの多いエリアになりました。
2016年、この金陵レジャーセンターに「北朝鮮初のおしゃれなカフェ」としてよく知られた金陵(クムルン)コーヒーショップが開業します。
金陵(クムルン)コーヒーショップ
大同江の東岸、玉流橋を渡った先、柳京健康センターの向かいにある「柳京館レストラン」と「ゴールデンレーン・ボウリング場」の間に建つ「金陵レジャーセンター」(2013年開業)の正面に入っています。
北朝鮮旅行を専門とするKoryo Toursによると、金陵はもともと2013年開業の金陵レジャーセンター内にあった清涼飲料水売り場でした。
その後、Choson Exchangeの女性向けビジネス研修に参加した若い北朝鮮人女性が、2016年に本格的なコーヒーショップとして開業しました。
ヘッドバリスタは中国で研修を受けたそうです。
2016年1月に最初の客を迎えました。
店内写真を見ると、従来の北朝鮮の喫茶店とはかなり雰囲気が違います。
レンガ壁、木製家具、黒板メニュー、エスプレッソマシン、コーヒーグラインダー、ラテアートなどがあり、ソウル、東京、北京などにあってもそれほど違和感のないデザインでした。
メニューには、
- エスプレッソ
- カプチーノ
- カフェラテ
- キャラメル・マキアート
- ハンドドリップ
- ストロベリースムージー
などがあったと報道されています。
AP通信が2016年3月31日に取材した際には、かなり多様なコーヒーを提供していました。
主任バリスタのリ・ヒョナ(Ri Hyon A)はAPの取材に対して、自分のお気に入りとして店のオリジナルのハンドドリップコーヒーを挙げています。
つまり2016年の平壌には、単にインスタントコーヒーを飲む段階を超えて、抽出方法や豆の味を楽しむ層がすでに存在していたことになります。
バリスタは中国で訓練を受けていた
金陵のもう一つの特徴が、バリスタ教育です。
主任バリスタは中国で専門的なコーヒー研修を受けていました。
APによれば北京でバリスタとして訓練を受け、その際にはスターバックスにも実際に行ったと話しています。
さらに豆についても、リ・ヒョナは、月に一度、中国から航空便でコーヒー豆を取り寄せていると説明しています。
店の運営に関わった女性は、シンガポールを拠点とする非営利組織Choson Exchange(朝鮮エクスチェンジ)のビジネス研修参加者でした。
Choson Exchangeは北朝鮮の若いビジネス関係者などに、経営、マーケティング、起業、金融などを教える研修プログラムを行っていました。
同団体自身が2016年に金陵を訪問し、自分たちのワークショップ卒業生が平壌でコーヒーショップを開いたと紹介しています。
つまり金陵は、単なる国営レストランというより、金正恩時代に広がった半市場的な経営・起業活動を象徴する店として注目されたわけです。
庶民向けの店ではなくお金に余裕のある客や、デート中の比較的裕福な若者に人気の店
一方で、普通の北朝鮮住民が気軽に行ける店ではありませんでした。
Choson Exchangeが2016年に訪れた際、飲み物は1杯4~8ドル程度だったと記録しています。
同団体のスタッフですら「高すぎる」と店側に伝えたほどでした。
店側は、「材料の多くを航空便で輸入しなければならない」ことを理由として説明しています。
当時の北朝鮮の一般的な所得水準を考えると、これは非常に高級です。
そのため客層は主として、平壌の富裕層・新興中間層・若者・カップル・外国人だったと考えられます。
Koryo Toursも、金陵を「一般大衆向けではなく、お金に余裕のある若者やデート中のカップルなどが利用する店」と紹介しています。
金陵コーヒーショップは民間投資家のいる国営レストランという可能性
1990年代の「苦難の行軍」以降、市場取引が急速に広がり、その中で資本を蓄積した人々がトンジュになりました。
最初は、「中国から商品を仕入れる → 市場で売る → 利益でさらに大量に仕入れる」という比較的小規模な商売でした。
しかし2000年代になると、一部の商人は数万ドル規模、さらに大きな資本を蓄積するようになり、単なる市場商人ではなく、卸売業者・輸送業者・投資家・金融業者へと発展します。
個人による起業は法律上いまも原則として禁じられているため、「トンジュ(金主)」と呼ばれる投資家は国営企業の幹部と組み、法的に事業を営む権利を持つ公認組織の中に私的な事業を隠して運営しています。
トンジュは国営企業の名義を借りたり、国有の建物を賃借したりして自分の商売をしています。
研究者は、レストランが国営か民間かを尋ねると「民間投資家のいる国営レストラン」という矛盾した答えが返ってくることが多く、実質的には私有なのに国営と称する所有関係が今の北朝鮮ではありふれていると指摘しています。
北朝鮮の飲食店の一般的な仕組みから考えると、金陵コーヒーショップはこのような「名目上は国営、実態は個人が運営する」という中間的な形態だった可能性が高いと考えられます。
現在も営業が続いているかは未確認
北朝鮮初のおしゃれなカフェとして開店した金陵コーヒーショップですが、2026年現在も営業しているかは未確認です。
多くの専門家や人権団体は、2020年以降のコロナ禍の時期に北朝鮮の思想統制が大きく強まったとみています。
感染対策を名目にした国境封鎖と並行して、外国文化を締め出すための厳しい法律が次々に作られました。
2020年12月には動思想文化排撃法が作られましたが、韓国のドラマや音楽、映画を広めた者に最高で死刑を科す内容で、それまでその都度のキャンペーンで行われていた取り締まりを法律として定めたものです。
また2021年9月には青年教育保障法が作られ、若者が外国文化をまねることを禁じ、「社会主義的な生活様式」へ引き戻すことが定められました。
さらに2023年1月には平壌文化語保護法が作られ、韓国風の抑揚や言葉づかいを使った人を処罰することが定められました。
人権団体は、北朝鮮がコロナの拡大防止を口実に統制を強め、国境を封鎖・強化して、国と国民をかつてないほど孤立させたと指摘しています。
ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、2024年になってもコロナ対策を名目にした過剰な措置が続いていました。
また、住宅地で中国の通信電波が検知されると、当局がすぐにその場所を捜索するとも報告されています。
国境の封鎖は、密輸されたUSBやSDカードを通じた韓国ドラマの流入を防ぐ効果もありました。
そのような状況で、ソウルにありそうなお洒落なコーヒーショップが営業を継続できたかどうかは不透明です。
韓流の広がりによる当局の強い危機感
Daily NKによると、2024年7月13日には平壌と黄海北道で、反動思想文化排撃法の違反をめぐる非公開裁判が同時に開かれ、2人に死刑が言い渡されました。
また、法律が施行されてから取り締まり機関とその権限が広がり、市民の日常生活にまで統制が及んでいるとの調査結果もあります。
背景には、韓流の広がりに対する体制の強い危機感があると考えられています。
韓国文化が若者の忠誠心を損なっているのではないかという金正恩政権の深い不安が、法律に表れていると分析されています。
そこに長引くパンデミックとの闘いや、前年夏の台風・洪水被害からの復旧が重なる中で、住民の思想への統制を強める動きと受け止められました。
経済面でも同じ時期に、企業の自主経営の見直しや市場への統制強化が進んでおり、思想と経済の両方で国家の管理を取り戻そうとする流れだったとみる専門家が多いです。
韓流文化には厳しい規制が入る一方コーヒーは地方幹部の間でも流行
過去には、従業員に賃金を払うといった「資本主義的な方法」でパン屋を営んでいた夫婦が摘発され、家族ごと地方へ追放された例も報じられています。
金陵のように、個人の起業から生まれた可能性のある店は、商品そのものより経営のやり方が問題視される可能性があります。
ただし、コーヒー文化自体は消滅したわけではないようです。
コーヒーそのものは飲用が認められ、北朝鮮国内では「三福(サムボク)」などのインスタントコーヒーも製造されていました。
また2024年4月17日のRFAの報道では、北朝鮮の地方幹部の間でコーヒーを飲むことが流行しており、以前はタバコが一般的だった贈答品や賄賂の代わりに、コーヒーが使われるようになったという証言が紹介されています。
2010年代には金陵のようなカフェで楽しむ贅沢品だったコーヒーが、2020年代には地方の幹部社会でも価値ある贈答品になっていたことを示しています。
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