スターバックス韓国上陸の対抗馬となった国内ブランド EDIYA COFFEE

By Cafesba , 1 3月, 2026
Ediya Coffee1号店 ソウル中央大店 

1999年韓国の梨花女子大学前でスターバックスの営業が始まり、大盛況になりました。
そして韓国でもカフェブームが到来しました。

2021年3月に韓国資本のカフェEdiya Coffeeがソウル中央大前にオープンしました。
このEdiya CoffeeはStarbucksに対して、「コーヒーを格好良く飲む文化は定着するが、毎日3,000ウォン払える人は限られている」と読みました。
そこで、インスタント(500ウォン)とスタバ(3,000ウォン)の中間である「1,500ウォンの本格コーヒー」という価格設定にしました。
当時の韓国外食業界は、バイクによる「配達(ペダル)」が売上の命でした。
イディヤではスターバックスに習いあえて「配達をしない(当時)」、「客が店に来て持って帰る(テイクアウト)」というスタイルを徹底しました。
これにより、複雑な物流コストを一切排除し、その分を豆の品質向上に回すという「究極のコストシフト」を実現したのです。
立地も大通りではなく「1.5等地(路地裏や大学の近くの狭い物件)」を選びました。
店内も豪華なソファやシャンデリアを排除し、テイクアウト主体のシンプルなカウンターのみの構成にしました。
これらの努力から、1号店(中央大学店)の開業資金は、当時の相場の数分の一である約1,500万ウォン(当時のレートで約150万円程度)という驚異的な安さで実現しました。

創業者のガ・チョル氏もまたスターバックスのチョン・ヨンジン(鄭溶鎮)氏と同様オレンジ族と同世代でしたが、鄭氏やオレンジ族とは異なり韓国国内の大学で化学高額を学び、1991年高麗合島という繊維会社に就職しました。

しかし入社した3か月後、ボウリング場を経営していた兄が交通事故に合い、そのボウリング場の経営を引き継ぎました。
当時彼はボーリングについて知識もなく、運営ノウハウもなく入場客もいなかったと言います。 
「月の運営費は引き続き発生し、客はいなくてとても大変でした。家でも余力がなく、もはや支援をすることができる状況にはなりませんでした。私は一日一日の地獄のような生活を送り、全身に力がほぐれる気持ちでした。」
ガ代表はボウリング場が流行らない理由についてボウリング場の位置や施設の問題ではないと考えていました。
彼はボーリングが普及していない状況で楽しむ人が少なく、同時に興味も感じられなと結論を出しました。
また一般人が価格が高いという固定観念でボウリングをしないという結論を出して顧客の立場に立ちました。

「まず人々がボーリングを好きにしなければならないという考えをしました。あわせて低コストで健康も守り、親睦も図れる運動であることを住民に知らせ始めました」
「私は先に近くの主婦たちを相手に講師を大動かして無料ボウリング教習をさせてくれました。同時に頻繁なボウリング大会やイベントを進行しました。
特に主婦たちの口コミで近くの住民に知らされ始めると、友人や家族を同行してボウリング場を訪れる顧客が増え始めた。
また会社員も退勤後に訪れるようになりました。

ガ氏はボウリング場の運営で儲けたお金を元手に、飲食業に飛び込びました。
彼は「韓国ピザマック」というブランドで低価格のピザを誰でも食べられるように考えて立ち上げました。
1994年、平村新都市で事業を始めました。
当時韓国では「ピザハット」など有名なブランドがありましたが、価格が高かったため一般人が簡単に食べることはできませんでした。
それでラージピザを9900ウォンという安い価格で国内に初めて導入して勝負をかけました。
ガ氏はピザハットに対抗し韓国国内ブランドという点を掲げて「韓国ピザマック」というブランドを立ち上げ、良い反応を得ていった。
「ピザの味は似ていて価格は安かったので顧客がたくさん訪れてくれました。私はフランチャイズ事業に拡張し、当時国内に37店舗と海外(中国)に6店舗などに拡張をしました」
ガ代表の戦略は国内ブランドを強調した。同時に、低価格という戦略で顧客の入心をひきつけました。

1997年までソウルと首都圏のあちこちに17の直営店を開設し、中国にも2店舗を開きました。
しかし1997年末、IMF通貨危機が起こり、売上は急減し、借入金も返済できない状況になりました。
彼の会社も資金難に陥り、やむを得ずすべての店舗を売却し整理しました。

事業の整理した後は、いくつか新規事業のアイディアがありましたが、ピザマック時代、ピザハットという外資系の大手に対抗したフランチャイズ事業を立ち上げた経験を生かし、
Starbucksに対抗すべくコーヒー事業を始めることにしました。

Ediya Coffee一号店オープン初日、イディヤが掲げた「1,500ウォン」という価格を見た学生たちが、吸い寄せられるように列を作った光景を見て、
ガ氏は自分の「低価格・高品質」戦略が完全に市場のニーズ(隙間)に合致したことを確信しました。

その後3年間で一気に100店舗を突破するほどの大成功を収めました。

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